2016.04.07
第6回 19年前の中国一人旅
【19年前の中国一人旅 チベット編】
このシリーズは私が大学4回生の時(19年前)に中国一人旅した際の道中に書いた日記を記載したものです。前回は、私が西寧~ゴルムド~ラサ(チベットの区都)にかけての珍道中を記載いたしましたが、今回はラサ(チベット)での日記を記載したいと思います。
旅行期間:平成7年9月2日~9月6日
旅行行程:神戸港~天津~北京~蘭州~西寧~ゴルムド~ラサ(チベット)~エベレストベースキャンプ~ラサ~成都~昆明~上海~大阪港
【9月2日 天気:晴れ】
今日、9時に目覚めた。チベットまでのバスの移動中の2日間、5枚のビスケットしか食べていないので、少し目が回っている感じだ。取り敢えず、同室で泊まっている一人旅の日本人2人(小谷君と稲田君)と3人で団結飯店(レストランの名前)に朝食に行った。その途中、今からネパールに向けて出発する人に自転車を30元で売ってもらってラッキー!その自転車には『小姉(シャオジエ)号』と命名した。(小姉とは、食堂などで店員のお姉さんに声をかける時に使う言葉。)
小姉号と小谷君、稲田君とで団結飯店に行き、盗難が怖いので小姉号を店の中まで入れ、久しぶりに焼飯、青椒肉絲、トマトと卵の炒め物といったまともな食事をした。めちゃめちゃうまかった!!その後、ヤクホテルに戻り、洗濯、部屋の移動、昨日までの日記をつけてたら夕方5時になった。せっかくの1日がもったいないので、小姉号でラサの街をウロウロした。ポタラ宮(ダライ・ラマの宮殿で1944年にユネスコの世界遺産に登録。1959年3月にダライ・ラマ14世がインドに亡命するまで約300年にわたりポタラ宮はチベットの中心地となっていた。)の周りをグル~ッと一周し、色んな店に寄ってサングラスや時計などを見た。散々見たけど1つも買わなかった。
【ポタラ宮】
ホテルに戻って、一人旅軍団で『タシ2』というレストランに行った。そこでたくさんの知り合いができた。総勢10名ほどだろうか、タシ2は大繁盛だ。ピザや焼飯、ビールと、久しぶりの大勢での食事に、超上機嫌でヤクホテルに戻った。少し日記を書いてから電気を消したが、夜に咳が出てずっと眠れなかった。チベットまでの峠越えで少なからず肺を痛めたのだろう。明け方4時頃まで苦しんで、少し眠ったような気がする。
【タシ2にて一人旅軍団と(中央が井上)】
【9月3日 天気:晴れ】
今日、朝苦しみつつ目覚めた。あまり眠れていないので9時半頃からボーっとしていたが、小谷君、稲田君が大聖寺(だいしょうじ、チベット仏教の総本山)へ行こうと言うので、一緒に行った。チベット仏教総本山だけあって、寺もスゴイが売店もスゴイ。寺の周りをグル―っと囲むように売店が連なっている。特に女性の商売人は強く、買わせるのがうまいと言うか、まさに経済学で言う需要曲線と供給曲線の交わる点を探ってくる。この手に何度はめられてお土産を買わされたか。。。たくさん買い物をして宿に戻り、近くの『タシ2』で昼食にしたが、今日はモオモオ(チベット風餃子?)を食べた。
その後、セラ寺(チベット仏教ゲルク派の3大寺院の1つ)の観光に出発した。セラ寺では砂で描かれた曼荼羅(マンダラ)が有名であり、目を見張るものがあった。驚いたのが、お坊さんたちはみんなで供え物を作ったり、お金を求めてきたり、お祈りをしているお坊さんがほとんどいないことだった。そして、カメラを向けると喜ぶ。
【セラ寺でお坊さんと】
もう一つ驚いたのは、ダライ・ラマである。写真に飾られているダライ・ラマは、サングラスをかけた、一見ヤンキーにも見える風貌であり、いかにも儲けてまっせ!というような写真ばかりである。なぜ、人々がこの写真に対して頭を下げお祈りを続けるのか、俺には不思議だった。せめて、サングラスは外したらどうかと思う。
夜になり夕食を食べたが、寝ようとすると咳が出て苦しくなるので怖い。小林さんという方に薬をもらって飲んだので安心していたが、深夜2時30分頃からすさまじい咳地獄に襲われた。こりゃたまらん、と外へ飛び出し、涙はボロボロ出るし、苦しいし最悪。一時間ぐらい夜の風に吹かれて、たまらなく寒くなり部屋に戻ると不思議とアッサリ寝れた。
【9月4日 天気:晴れのち曇り】
今日9時半頃目覚めたが、昨夜の咳地獄の悪夢が思い出される。朝からデプン寺(セラ寺と同様、チベット仏教ゲルク派の3大寺院の1つ)へ観光に行ったが、お寺もお坊さんもセラ寺とほとんど同じような印象だ。ただ、デプン寺に行った最大の収穫は、加藤さんに出会ったことだ。彼と話しているうちに、意気投合して絶対エベレストのベースキャンプへ一緒に行こうということになった。ラサからエベレストベースキャンプへ行く場合、多くはそのままネパールへ抜けるが、私はラサに戻ってきたかった。加藤さんとはその意見が一致し、加藤さんの『例え二人でも行きましょう!』との言葉に俺は、たまらなく感動した。彼となら行ける!そんな気がした。
(エベレストベースキャンプへ行くには、片道3日間かけてチベット人運転手を雇って車で行きます。運転手以外に5人乗れ、5人いた方が1人当たりのチャーター代が安い。)
ホテルに戻って、他にエベレスト行きに興味を持っていた仙仁(せんにん)君と松尾君のいるホテルに行ったが留守だったので、ドアに『ベースキャンプに行こう!』とだけ書いた紙を貼っておいた。夕方再度、加藤君と彼らの部屋に行くと、どうも食事に行ったらしく、留守番をしていた八木さん(50歳過ぎ)というおじさんとずーっと話していた。話しているうちに、八木さんも行きたいと言い出し、そこに仙仁君、松尾君が食事から戻ってきて彼らも行きたいと言ってくれ、いきなり合計5名が揃った!
自分がやりたい事が叶いそうな時、これほどうれしいものはない。この旅に来て、2回目思った。
本当にやりたい事は絶対に達成できる!
できないのは、やりたいという気持ちが足りないからだ!
非常に危険な旅になることは目に見えているし、メンバーのうち誰も経験したことのない旅だが、一緒にいってやろう、何とかなるだろうという気持ちになってくれたことが本当にうれしかった。明日、車をチャーターできるか、旅行会社へ行って交渉することにする。
【9月5日 天気:晴れ】
今日、9時半に目覚めた。昨日は久しぶりにスッと寝れたので目覚めが良い。10時頃加藤さんがやって来て、2人でエベレストツアー探しに出かけた。ホリデーインホテルにある旅行社へ行き、エベレストベースキャンプへ行きたい旨を伝え、どこへ寄りたいか、何日滞在するか等、自分たちの考えを伝え、その通りのプランを立ててもらった。費用も値切りに値切って、一人1,660元(当時1元12円程度なので、約2万円)。最高のツアープランができた。9月7日出発で9月14日にラサに戻ってくる8日間のプランである。午後からみんなのパスポートを預かって、ツアー会社へ持って行き、無事に手続は終了!
帰り、加藤君とホリデーインホテルの喫茶店へ行って、おそらくラサで一番高価なビールと高価なハワイアンピザで祝杯を挙げた。ビールは冷えてる(いつもぬるい)し、ピザにはちゃんとチーズが乗ってる(乗ってないピザばっかり)し、最高!!!
すっかり酔っぱらって、自転車でホテルへ戻り、八角街という大聖寺の周りにある売店で色んなチベット人に絡んで、楽しんだ。
【八角街にて】
【9月6日 天気:曇りのち晴れ】
夜中にまた咳が出て、苦しくて8時頃に起きた。どうもお酒を呑みすぎると咳が出るようだ(早く気づきなさい)。明日から、エベレストベースキャンプへ出発なので、今日でラサの街とはしばしお別れである。体調が悪いが、加藤さんが迎えに来てくれて、一緒にポタラ宮に観光に行った。小姉号を漕いでいても、今日は何だかしんどい。
ポタラ宮に到着した。入場料を支払い、急な階段を何100段も登った。20段おきぐらいで休憩を入れたりしながら登った。標高が高いせいもあると思うが、今日は本当に体の調子が悪い。途中の展示物はほとんど見る余裕もなく、ひたすら俺は階段を登った。加藤君も結構しんどそうだったが、やっとの思いで頂上へ辿り着き、景色を写真に収めた。
ポタラ宮を下り、加藤君と団結飯店で昼食をとったが、加藤君が『井上さん、顔赤いですよ』と言って、おでこを触った。『熱ありますよ』と彼は言った。
そんな~、明日からチョモランマ(エベレストの事)やで。冗談やない。
それから水を入れるポリバケツを買ってホテルへ戻り、加藤君にもらった薬を飲んで、頭をタオルで冷やして、すぐに布団にもぐりこんだ。薬のせいか、1時間半ほどぐっすり眠れた。目を覚ますと、汗びっしょりだったが体はすごく楽になっていた。それから布団の中でウダウダしていると、午後5時頃に加藤君がメロン2個を買って来てくれた。病気の時はフルーツがおいしい!そのうち、松尾君と仙仁君もやってきて、4人でメロン2個を食べた。みんなが心配してくれて、何だかうれしかった。
夜になったが明日に備えて今日は呑みに行くのを断った。明日でラサをしばらく離れるので、小姉号を30元で太郎さんという人に引継ぎ、靴下を洗い、明日の準備をした。フロントに宿代を先に払いに行ったが、6泊して173元だった。1日当たり29元(約350円)ぐらいだった。
就寝前、日記をつけていると小谷君、稲田君がやってきて、明日の別れを惜しんでくれた。3人で色々と思い出を語り、最後に1枚写真を撮った。小谷君とは、また日本でも会いそうな気がする。
【ヤクホテルの部屋にて(左が稲田君、右が小谷君、中央が私)】
旅のそれぞれの場所での出会いと別れ、これは一人旅をしていると、普通の旅行の何倍も経験することができる。一人旅してみて良かったと、心の底から思った。明日から、いよいよエベレストベースキャンプへ出発。何が起こるか楽しみだ。とにかく、生きて帰ってきたい。