2009.07.30

地獄の5日間 と 祝滋賀学園甲子園出場!

みなさん、こんばんは。
今日のお題の一つ目、地獄の5日間。
これは、この5日間、正確には先週の木曜日から月曜日までの5日間です。何があったかと言いますと、私、病に苦しんでおりました。
先週の木曜日、朝起きますと38.4度の熱がありました。前日の夜に子供を救急で深夜に病院に連れて行った際、どうも病院で院内感染したのではないかと思われます。嫁も38度以上の熱を出してました。
ただ、その日はどうしても休めない日でしたので、無理をして朝から夜まで仕事をしていましたが、夜帰宅して熱を測ると39.5度。やはり、こじらせたかと思いながら、病院へ行き、熱を測ると39.8度。子供並みか〜と自分で突っ込みながらも、インフルエンザの検査(陰性)をして解熱剤をもらって帰宅しました。
次の日の金曜日は、さすがに仕事を休ませていただき、お陰様で熱は37度代まで下がりましたが、今度は咳と喉の痛みが来ました。特に、喉の痛みは激しく全然眠れません。2,3時間の睡眠で、土曜日朝方たまらず救急で再度病院へ行き、必死で訴えたのですが、耳鼻咽喉科の専門医がおらず内科の先生に診断され、『のどがちょっと赤いですねー。イソジン出しときましょ』って、イーソージーンってそれ、思いっきり普通に薬局で売ってるじゃないですかー!
そんなんで、治るはずもなく喉の痛みと咳は悪化の一途をたどり、土曜日の夜も唾は飲めないほど激しい痛みのところに、咳が出て、涙は出続けるし、目はパシパシになるし、喉のウイルスが目にも入って目が腫れてくるし・・・
朝までほとんど眠れない夜を過ごしました。横になったら咳が出て苦しいので、布団に寝るのが嫌でずっとソファーに座ってました。
日曜日の朝になるのを待って、再度病院の救急へ行きました。すると、今度は錠剤の薬をもらいましたが、これを飲んでも、これまたあんまり効き目がありません。焼け石に水と言いましょうか、たぶんウイルスのレベルと薬のレベルが全然合ってないんだと思いました。
『これでも痛みが治まらなかったら、明日耳鼻咽喉科へ受診してください』と言われ、土日、夜間の救急診療体制はなってない!と確信しました。
我々のようなビジネスマンが気兼ねなく病院に行ける時間って夜間か休日だけですよ。その我々からすれば、ゴールデンタイムに専門医がいない?
まったくひどい話です。嫁が看護師なのですが、嫁いわく、『このレベルの喉の炎症はステロイド剤の点滴をしないとだめだ』というのです。でも、お医者さんはその決断をしてくれませんでした。
おかげで、日曜日と言いますか月曜日の朝6時まで涙ポロポロ出しながら痛みをこらえ、そこから7時30分ぐらいまでだけ寝た気がします。それもソファーです。
その後、電車に乗って神戸まで仕事に行き、午後から大阪市内で仕事をしていましたが、当然意識朦朧です。金曜日夜から3日間で10時間も寝ていませんし、ずっと痛みに耐えているわけですから。
月曜の午後5時すぎにようやく、心斎橋の耳鼻咽喉科へ行きましたが、そこで先生がおっしゃった一言、
『うわーーーーーー。これはひどい。あっちもこっちも、喉の奥に膿と口内炎の喉版ができてる。これ、寝れなかったんと違います?』
『は、はい。やっとわかっていただけましたか・・・。私は、3日間訴えてきたんですが、やっとわかってもらえる先生と出会えました』
『そうでしたか、それはつらかったでしょう。でも、炎症が気管の入り口付近まで広がってます。もう少し炎症が広がって気管の入り口にできてしまったら、呼吸困難を起こすとこですよ。すぐに点滴が必要です』と言って、抗生物質のステロイド剤を点滴してくださいました。
すると、驚くぐらい痛みが引き、月曜夜は喉の痛みはスッと引きました。先生が神様に思えた瞬間でした。ただ、咳がひどく、そのおかげで結局月曜夜も2〜3時間しか眠れず、火曜日夕方に再び先生のところへ行って、2回目の点滴と強力な咳止め薬をもらいました。
これがまた、すごく効きまして、火曜日夜は、久しぶりに8時間寝ることができました。
はーーーーーーー、最高!!!
水曜日にもう一度、先生のとこへ行き、3度目の点滴をしていただいて、もうこれでOKとのお墨付きをいただきました。
今回の反省点は、いろいろあります。
1.初期動作が遅れた(熱があるのに無理をした)
2. 夜遅い日が続き、抵抗力がなくなっていた
3.土曜日のうちに町医者の専門医のところへ行くべきだった。
特に今後、2については、抵抗力のある生活を心掛けたいと思います。
それはさておき、滋賀県の滋賀学園、強豪の近江高校を決勝で破り、悲願の初優勝を飾りました。
おめでとうございます!!!
この滋賀学園の山口監督は、実は私が高校時代野球部をやっていた時の2つ先輩で、同じショートのポジションをやっていました。まさに、直の先輩だったわけです。高校を卒業後、高校野球の監督になるために青森の大学へ進学し、野球を勉強して滋賀に戻ってきて、最初は監督ができる就職先がなくて困っておられたと思いますが、今の滋賀学園創設の辺りから、滋賀学園の監督としてがんばってこられました。
思えば、大津商業高校時代の最後の夏の大会の時(私が1年で山口監督が3年)も、準決勝で2年続けて近江高校に敗れています。
山口達也さんにとって、近江高校は一つの特別な壁だったと思いますが、今日の優勝で過去の悔しさが吹き飛んだと思います。
私も、心にジーンときました。
滋賀学園、甲子園でも山口さんの『迷うな!』を実践し、思いきったプレーを見せてください!


CONTACTお問い合わせ

PAGE TOP