2009.06.26
淡路島と滋賀県の謎
みなさん、こんばんわ。
今日は、昔から私が感じている淡路島と滋賀県の謎を赤裸々に書きたいと思います。というのも、ここ2,3日淡路島に仕事に来ておりますため、ふと書いてみようかと思ったのです。
この謎に気づいたのは、今から5年以上前だと思います。その頃から、淡路島の会社様に仕事でお伺いしていたのですが、以下の疑問が浮かびました。
『淡路島の「アワジ」は、徳島の阿波ではなく、なぜ淡い路(みち)と書くのだろうか』と。
普通に考えたら、徳島県と兵庫県の間にあるのだから、『阿波へ続く道(路)にある島』と考えて、『阿波路島』と書くのが自然ではないか?
なぜ、淡いという言葉になったのだろうか?
ちょうど、そのころ滋賀県の西部にある私の実家付近の地名で「近江舞子」とか「近江今津」というのがあるのを思い出しました。
兵庫県の瀬戸内海側にも「舞子」や「今津」という地名があります。自分でも驚いたのは、近江舞子から見た琵琶湖の景色と、兵庫県の舞子から見た淡路島の景色が非常に似ているということです。
ここで、仮説ですが、おそらく昔々の人たちは、北陸へ行くのに今の特急サンダーバードや雷鳥と同じで琵琶湖の西を通って行き来していたのではないか?そうすれば、例えば北陸から歩いてきて琵琶湖を見たとき、その景色が余りに今津や舞子の景色と似ていることから、その地を近江今津や近江舞子と名づけたのではないか?
とすると、なぜ阿波路ではなく淡路か?
滋賀県は近江という別名を持っていますが、昔は淡海(おうみ)と呼んでいたそうです。つまり、ここで「淡」が出てくるのです。
淡路島の淡は、滋賀県を意味する淡なのではないか?淡路島と琵琶湖の面積はほぼ同じで、形も似ているというのは有名は話で、琵琶湖が飛んでいって、淡路島ができたという、嘘か本当かわからない話を言う人までいます。
形、面積、周辺の地名など、滋賀県と淡路島の関連性は、ますます深いものとなってきております。(井上の頭の中では・・・)
もう長いこと考えているのですが、どなたか、この辺りに詳しい人を御存じないでしょうか?