2009.06.14

熱血家庭教師時代 Vol.1

みなさん、こんばんわ。
最近、ブログに目覚めてきました。
書きたいことがいっぱいありすぎて、大変なのです。
今日も、というか昨日の土曜日もある会社へ監査法人への報告会に立ち会ったあと、その会社の社内の勉強会の講師をしてました。
今日の日曜日も、朝から神戸で報告会、午後1番に香川県の社長様の相談、夜は結婚式2次会へと、バタバタした土日を過ごしてます。
最近、いろんな会社の社長様と会社の抱えている問題について、ガチンコで話をする機会が非常に多くなってきました。
何分、社長様ですので会社に対する思い入れは会社一です。こちらも体当たりでいかないと、こて先だけでは吹き飛ばされてしまいます。先日も、某上場会社の社長様と夜中まで話し込んで、帰りに一緒に来来亭でラーメンを食べて帰りました。その社長様とは、1か月ほど前も夜中に一緒に天下一品に行きました。何だか、昔の野球部の練習の帰りにラーメン屋に寄るみたいな感じで楽しんでいます。いかにして、会社を立て直すか、そういうご相談をしていただけることが、本当にうれしく、最近寝食を忘れて仕事をしています。
そんな時、ふと大学時代の家庭教師をしていた時を思い出しました。最初は、優秀な子からオール1の子まで何人か中学生を教えていましたが、優秀な子は放っておいても良い点数を取ってくるので、だんだん飽きてきました。気づいてみると、私はオール1の子だけに特化して、家庭教師をしている自分がいました。オール1の子となりますと、中学生でも南の反対は東!とかいう子でして、何をどこから教えればよいか途方にくれたのを覚えています。でも、これを何とかできるのは自分しかいないと思って、熱血指導を行いました。その時の究極の指導方法をご紹介したいと思います。(なお、今一緒に仕事をさせていただいている社長様がオール1と言っているわけではございませんので、悪しからず)
1人目・・・
 この子は、非常に気持ちの優しい男の子で、塾よりも高い家庭教師をなぜ親が頼んでくれてるかわかってるのか!と、親への感謝の気持ちを持たせる話から入りました。毎回これで約1時間。たいがい最後は涙涙となります。オール1となると、机に座れと言った時点で強い拒絶反応が出て、ちょっとしたパニック状態になります。ある数学の話をしている時こんなことがありました。
『300円の商品を2割引きで売ってくれると店員が言いました。いくらで買えるでしょうか?』
答えは簡単ですが、これが中学3年生の春時点の彼にはわかりませんでした。
あかん、ちょっと休憩しようかといって、テレビを見ていた時、生徒が言いました。
『先生!アルペンでスキーが3割引になってるで。買ってや。』
『おまえ、3割引っていくらかわからへんやろ!』
と言うと、
『わかるで、一万円のスキー板やったら、7000円やろ?』
『おまえ、わかってるやん!』
勉強って、こんなもんなんだと思いました。
つまり、頭の悪い子ではなく、過去のどこかの時点で拒絶反応を起こしてしまっているだけで、それを取り除けばまだ間に合うと思いました。
それから、ロッキーのような猛授業が始まりました。両親の帰りが遅いため、一緒に外食に行ったり、遊んだりしながら、日常生活の中に授業を取り入れ、それでわかった時点から、机に戻るというようなことを工夫しました。宿題をやってなかった時の罰も強大なものにしました。英語の不規則動詞をなかなか覚えなかったので、宿題で出し、
『次来るまでに覚えてなかったら、どうするんや?自分で罰を決めろ!』
『・・・』
『何で「死にます!」とか言えへんのや!覚えたらええだけの話やろ!逃げ道を作るな!』
『じゃあ、死にます』
『あほ、死んでどうすんねん!死んだら人間おしまいやないか!』
まー、こんなわけのわからん会話を続けたあげく、不規則動詞を全部試験して、3個までの間違いだったら合格。4個以上間違ったら滋賀県から京都まで走るということにしました。京都の鴨川までちょうど42キロ。フルマラソンと同じ距離です。
1週間後家に行くと、さすがにまずいと思ったのか、家のあちこちに不規則動詞の表を貼っていました。玄関、トイレ、ベットの上の天井などなど。お母さんに聞くと、何だかわからないけど、この1週間はよく勉強していたとのこと。
良し良しと思いながら、緊張の試験をやり採点をしてみると、○ばっかりでした。
これはすごい!と思って採点していると、やはりちょくちょく間違いがあり、ちょうど4問間違っていました。4つ目の×をつける時は、手が震える思いでしたが、心を鬼にして×をつけ、
『残念やなー。4問間違い。さ、京都まで行こうか。』
『えーーーーー!まじですか???』
その時の時間が夜の6時半ごろだったと思います。お母さんを呼び、
『ちょっとお子さんと走ってきます。』
『そうですか。先生、何時ごろ戻られますか?』
『うーん、朝までには戻って来れると思いますけど』
『え???どこまで行くんですか?』
『京都の鴨川です。約束なんで』
そう言って、二人で走り出しました。当然、20キロ地点ぐらいから肥満気味の子供は走れなくなりましたが、それでもちょっと歩いては走っての繰り返しでした。
夜中の2時ごろに鴨川に着いて、タクシーで戻りました。タクシーのメーターで計ると、やはり42キロありました。
次に家庭教師に行くと、その子がなぜかプリンを僕のために作ってくれてました。男の子なので、若干微妙な気分でしたが、先生に食べてもらうんだと言って、がんばって作ってくれたらしいです。そんな時間があったら、勉強してくれーって感じでしたが、明らかに一緒に京都まで走った以降の勉強は、急激に上昇しました。宿題も完ぺきにやるようになりましたし、おかげで高校に無事進学することができました。
続編がありまして、その後も年賀状のやりとりをしていたのですが、高校でさらに勉強に目覚め、数学10とかを取ってきたのです。(すでに私は家庭教師をしていませんが・・)
そのまま勢いづいて、何と大学まで行ってしまいました。
人間って、ほんとにわかりませんね。
この子のおかげで、オール1専門のいい先生がいるということが広まり、良く電話がかかってきました。でも、私は1年間でかなりの疲労感がたまり、少々成績の悪い子は受けず、ドカタのバイトに励んでいたのですが、ある時、前回の彼を上回るオール1君がいることがわかったのです。
壮絶な、オール1君パート2は次回に書きたいと思います。


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