2011.04.03

無事帰還!

お疲れ様です。
今朝、午前7時15分ごろに岩手県から無事、滋賀県大津市に戻ってまいりました。
片道1,100キロ15時間、往復2,200キロ30時間を要しましたが、6名のチームワークで
無事に乗り越える事ができました。(山野薬剤師( 境川薬局社長)、和田税理士、
和田税理士いとこ(電気技師)、西村君(現:会社員、元:佐川急便及び長距離運転手)
、前川管理栄養士、井上)道中、居眠り運転等による事故のリスク、原発の近くを通過
することによる放射能リスク、余震リスク(実際何度も余震がありました)等々、個人的には
不安がいっぱいでしたが、ドライバーの皆さま、本当にありがとうございました。
物資をご提供いただいた皆様にも、いろいろとお手間とご心配をおかけしたかも
わかりませんが、本当にありがとうございました。現地では、急きょラジオ番組にも出演し、
皆さん本当に感謝の気持ちがいっぱいになって、涙してくださいました。
確実に、関西からの支援の気持ちとパワーが伝わったと思います!
今回の行程は、
・4月1日(金)午後9時15分ごろ滋賀県の大津を車2台で出発
 ⇒ドライバーは日の丸と応援メッセージの書いたハチマキを巻いて出発。
・北陸自動車道、磐越自動車道、東北自動車道経由で、4月2日昼12時15分ごろ
 岩手県宮古市着。
 ⇒ほぼ全員徹夜に近い状態。
・現地到着後、休憩後、すぐに被災状況の視察(現地の方のご案内)
 ⇒特に被害の大きい地域も案内され、津波の恐怖を実感。津波のなかった地域は
  比較的建物もしっかり残っていた。今回の大地震が津波地震であったことがよくわかった。
 ⇒たくさんの自衛隊員が災害復興にあたられていた。本当にお疲れ様です。
 ⇒街中は、津波により打ち上げられた大量の海底の土によって土ホコリが常にひどかった。
  通常の潮の匂いとは異なる、海底の土の異様な匂いで街中が包まれていた。
・視察後、街中の復興直後の食堂にてようやく食事(出発後、初のまともな食事)。
・井上は午後2時半ごろ〜約15分、エフエム宮古にて、ラジオ番組出演。
 ⇒今回の1週間での物資輸送に至る話、関西からの応援メッセージ、
  寄せ書きの応援旗(1メートル四方にいっぱいの応援メッセージが書かれている)を見せ、
  ラジオパーソナリティの2名が感動で涙する。寄せ書きは復興完了までラジオ局に展示
  され、市民誰でもが見れる状態にされることに。
  また、宮古市長様から皆さんに感謝状が届けられることに。
・救援物資の荷物下ろしを、工場の皆さんの協力を得て実施。会社の廊下に大量の物資が
 並ぶ。
 ⇒物資の宮古市民への配分は、市役所と榊氏とで打合せして平等に避難所に届けられる
  ことに。
・4月2日(土)午後4時に宮古市の皆さんにお見送りされ、関西へ出発。
・帰り、盛岡冷麺(ぴょんぴょん舎にて)などを食べ、盛岡にて6名で30〜40分ささやかな
 打上げ。
・眠気及び自動車の暖房故障による寒さに耐えながら、4月3日(日)午前7時15分ごろ、
 無事滋賀県大津市着。
 ⇒暖房故障により、社内が非常に寒く仮眠が厳しい状態に。ただ、結果的に居眠り運転
  防止に役立ったかも。
所要総時間は、4月1日午後9時15分〜4月3日午前7時15分までの、約34時間。
うち、運転時間30時間、現地滞在時間4時間、といった感じです。
ドライバーの皆さん、本当にありがとうございました。私は1.5キロ痩せました。
物資は、行きの車の中でリストを数えていると、言い出してからの1週間で合計100名以上
の方々からお寄せいただき、
2トントラック(アルミ箱形)の床から天井までパンパンで何とか入りました。西村君の
元佐川急便の積み込み技術がなければ、無理だったと思います。
物資等をいただきました皆様には本当に心より御礼申し上げるとともに、確実に先方に
お渡しできたことをご報告申し上げます。
なお、皆さんの物資には、名前と中身をA4の紙に書いて添付して、現地の方が誰から
いただいたものかが、わかるようになっております。
また、出発直前に大津京のマンション前まで来て長時間、大量の荷物の仕分け作業、
積み込み作業をお手伝いいただいた、GCCの阪田さん、又井ちゃん、本当にありがとう
ございました。
また、ご多忙にもかかわらず、出発地までわざわざ物資を届けていただいた、宮本社長、
山田社長本当にありがとうございました。
気がつけば、積み込み作業場所に20名〜30名の支援の方々が集まって準備を手伝って
くださり、それを見て近所の住民の方々から、義援金を預かったことも驚きでした。
今回がイベントで終わるのではなく、今後も継続的に岩手県宮古市の支援を続けて行きたい
と思います。
最後に、日曜日からまた夜勤にも関わらず、私の無理を聞いて奥さんと幼い子供を置いて
貴重な週末を一緒に岩手に行ってくれた西村智明君、危険だとの反対の声にも関わらず
熱い気持ちでドライバーに強く立候補いただいたクライアントである薬剤師の山野社長、
少しでも現地の方のお役に立ちたいと女性1名にも関わらず強い参加意欲を示していただき
運転手として、話相手として大活躍の管理栄養士の前川さん、花粉症で鼻ズルズルにも
関わらずトラックやドライバーの声掛け、物資の調達等、本業そっちのけで
がんばってくれた和田税理士、そして自らのディーゼル車(ハイエース)を提供いただき、
わざわざタイヤをスタッドレスに替えて京都の宮津から来ていただいた和田税理士の親戚の
和田さん。
みなさんの誰が欠けても今回の物資輸送は成功しなかったと思います。長距離運転、
本当にありがとうございました。
以下、現地被災者の榊様からの御礼メールです。
----- Original Message -----
Sent: Saturday, April 02, 2011 11:16 PM
Subject: 有難う御座いました
井上 先生
本日は本当に有難う御座いました。
感動と感謝の一日を従業員とFMのスタッフ、そして宮古市民が共有できたことを
心から感謝を申し上げます。
仕事が終わってから、あのラジオ局に駆けつけて、寄せ書きを部屋の真ん中の壁に貼り
改めて仲間達と井上先生の心意気とお話に、パーソナリティーが声を詰まらせ、
そばに居た、ボランテァで手伝いをしていたNHKの彼女も感動したことが話題となり、
先ほどまで本日の反省会となりました。
会社に戻り、市役所の人と頂きました物を仕分けをしながら
励ましの手紙や言葉を見ては心を熱くし、こみ上げるものを抑えることが出来ず
しばし、中断をしながらも、明日には何とか皆さんに届けたい一心でやっています。
それにしても、真心を寄せて頂きました皆様の細やかな配慮に驚くばかりです。
お気持ちを寄せてくれた皆様、取り纏めをして頂きました内藤様、運搬をしてくれた
クルーの皆様には感謝の言葉を見つけられないほど感謝をしています。
また、頂きました特上近江牛と淡海地鳥は家屋流失と家屋全壊して
避難所、親戚、知人宅に身を寄せているものに分けました。
お陰さまで彼らから久しぶりの笑顔を見ることが出来ました。
重ねて御礼を申し上げます。
宮古市は見て頂きましたような、惨状ですが先生はじめ多くの方からの励ましを
糧として前を向いて進むしかないと覚悟をしています。
また、沢山のお見舞金、特にも井上先生には大変なご負担を掛けましたことを
心から感謝申し上げます。その活用方法については、相談をして有効に
宮古の市民に光が差すようなことを考えたいと思っていますので
今後ともご指導を宜しくお願い申し上げます。
取り急ぎ御礼申し上げます。


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