2011.09.30
東北再訪
みなさん、おはようございます。
今、岩手県盛岡駅前のビジネスホテルで早朝を迎えております。
昨日(9月29日)に、伊丹空港から仙台空港に飛び、
仙台から新幹線で盛岡に来ました。
昨日は非常によい天気で、機内から富士山がきれいに
見えました!(絶対、登頂してやる!)
仙台空港前、後ろに座っていた女性が、しくしくと泣きだし、
着陸直前に仙台空港周辺の流された街並みがはっきり見えると、
号泣されていました。
おそらく、震災後初めて仙台に戻ってきた方だと思いますが、
当時の事を思ってか、亡くされたご親族ご友人がおられるのか、
半年以上たった今、改めて今回の大震災の深い爪痕を痛感しました。
空港について、JR仙台駅までは通常は電車が走っているのですが、
何とこれがまだ運行できておらず、10月1日からの運行再開になる
とのこと。高速バスがありましたが、30分以上も待つ必要があり、
新幹線の時間を考えると、結局タクシーで行くしかありませんでした。
タクシーの中で、運転手さんとしゃべっていると、津波に対する生の声が
聞かれました。
運転手さんのいる会社でも、仙台空港で待機していた5名の運転手は、
空港内に避難しましたが、3階建ての空港の2階まで津波が来て、
3階に避難したが、1,000名以上が避難し、水が引かなかったので、
そこで3日間を過ごしたと。
食事はお土産物品をみんなで分け合い、それが尽きると、飲まず食わずで
過ごしたそうです。特にトイレが大変だったと。
3日目に水位がひざの高さまで下がったので、空港を出て歩いてタクシー会社
まで8キロほど行き、会社について『助けに来てくれないなんて、ひどい会社だ!』
と怒っていたらしいです。
空港周辺も広大な田園地帯がありますが、すべて塩害で駄目だと。来年は田植えが
できず、その後も見通しが立たないそうです。
また、東北自動車道は一般人には無料開放されているそうですが、逆にそれが毎日
朝と夕方に大渋滞を引き起こしているそうで、私の乗った4時頃のタクシーが渋滞に
巻き込まれないギリギリのラインだそうです。4時半〜5時ぐらいにはインター出口付近で
渋滞の列が伸びます。出口で罹災証明書を1台ずつ確認するのが原因だそうです。
仮に私があのまま30分待ってバスでの仙台駅への移動を選択していた場合は、
大変な遅刻になるそうで、バスは必ず高速を使うので途中下車もできず、乗客から
電車に間に合わないなどの苦情が殺到しているとのこと。
仙台出張のある方は、ご注意ください。
タクシーから見る風景は、まだまだ痛々しく、つぶれた車が山積みされていたり、
家の補修のため、ブルーシートのかかっている家がたくさんあったり。
地震保険も実際には全壊していないとほとんど出ないらしく、パッとみて全壊に見える
家の建て替えに2,000万円かかったとしても、せいぜいその5%出たら良いところ
だそうです。つまり100万円。
過去ずっと払ってきた額以下であり、何が地震保険だ!と怒り心頭でしたね。
自分の家族の無事が確認できても、次は親戚、知人の肉親の遺体捜しを手伝う日が
多かったらしく、膨大な数の死体を見たと。
津波による遺体は、あちこちバラバラにあるというよりも、一定の場所に固まってあることが
多く、それもほとんどが下を向いて亡くなっているそうです。したがって、本人確認するのに
顔を見ようとすれば、顔を上に向ける必要がありますが、遺体に触ってはいけないので、
警察などにお願いして動かしてもらうのだそうです。
子供の遺体もたくさんあったそうで、頭から離れない日が続いたとおっしゃっていました。
仙台駅から盛岡駅まで50分程度新幹線に乗り、午後5時半ごろに盛岡に着きました。
岩手県宮古市の会社の方と久々にお会いし、一緒に食事をしました。
復興の状況、会社の状況など色々とお話ししましたが、印象深いのが、
宮古では、津波で人が流されることを
『捕られる』
というそうです。
あの人は、海に捕られた、という具合です。
人間は、海から魚や貝を捕る。
だから、海も陸から人を捕る。
私たちも海から様々な食べ物を捕っているから、海に捕られても仕方がない、
というような、海の人間ならではの諦め方、心の整理の仕方なのかもしれません。
自然界を尊重した表現に、色々と考えさせられました。
今日はこれから、盛岡で打ち合わせ後、半年ぶりに宮古市に行ってきます。
どこまで復興しているか、楽しみです。
井上 豪