2014.05.26
第2回 19年前の中国一人旅
前回は、私が初の海外一人旅に出発した神戸港〜船の中の出来事までを書かせていただきました。
今回は、いよいよ中国本土に上陸です。
旅行期間:平成7年8月17日〜9月25日
旅行行程:神戸港〜天津〜北京〜蘭州〜西寧〜ゴルムド〜ラサ(チベット)〜エベレストベースキャンプ〜ラサ〜成都〜昆明〜上海〜大阪港
【8月19日 天気:曇り時々晴れ(一時雨)】
今日、9時45分に目覚めた。朝食が10時までだと聞いて、大急ぎで食堂へ。船の外を見ていると、いよいよ天津港が見えてきた!でっかい!非常にでっかい!船の数も多い。それに、生まれて初めて見るユーラシア大陸に感動した。船が無事天津港に着岸し、午後2時に初めて大陸への第一歩を踏み出した。船内で預けたパスポートを返してもらわないといけないが、そのシステムが悪い。中国人のおばちゃんが1枚ずつ乗客全員分(日本人100人ぐらい?)のパスポートを見せ、それに貼ってある写真をみて自分のものか判断するという非常に面倒なやり方だ。20分ぐらいして、やっと自分のパスポートをもらい入国審査へ。入国審査は、パスポートを見るだけであっけなく天津に入ることができた!
船場を出て10歩と歩かないうちに、中国人のおばさん達が寄ってきて、中国語で『北京に50元で連れて行ってやる』と言って、客引き合戦が始まりけんか状態に。地球の歩き方(本の名前)で、客引きには気をつけろと書いてあったが、北京まで50元だったら4人割り勘でタクシーで行くよりも安いので今日の目的地である「北京南駅」まで行ってくれることを条件に、個人バスの前方(運転手のすぐ近く)に乗った。バスには私以外に10人ほど日本人が乗っていた。このバスに乗ってからが大変だ。ものすごいエンジンの振動で、足の裏がシビれる。バスにはバックミラーもなく、運転手のおっさんはかなり運転も荒く、平気で対向車線を走ったりする。何より、すぐクラクションを鳴らすので、天津港付近はやかましくて仕方ない。みんなケンカしている感じだ。人も自転車も平気で道路を渡る。日本ならどれだけの人が死んでいるかと言うほど見事な飛び出しっぷりだ。
長い踏切へやってきた。天津の踏切は手動(竹の棒を鉄道員が上げ下げするだけ)であり、このバスの運転手と鉄道員が何やらしゃべっていた。その直後、鉄道員はニヤッと笑って、踏切の棒を特別に?上げた。バスは踏切を渡ろうと前進したが、横を見るとどうやら電車が来ている。そう、この踏切の鉄道員はまだ踏切の棒を上げてはダメだったのである。それでも、しまった!というような顔をしてニコニコ笑ってやがる。こっちは線路の上で立ち往生だ。バスの中は大騒ぎとなり、電車が警笛を鳴らしながら近づいてきた。もうダメか・・・と思っていたが、ギリギリのところでバスは助かった。一瞬ヒヤッとしたが、運転手はよくある事だというような顔である。さすが、中国。3時間ほど、おんぼろバスに揺られ、北京駅に着いた。乗務員のおばさんに「私は北京駅ではなく、北京南駅まで」と言うと、「対対(はいはい)」と言いながら、ちょっと降りてみろと言う。他の車に乗り換えるのかと思いきや、そのおばさんは、「あっちが北京駅だ」と指差したかと思うと突然バスに乗り込み、「再見〜!」と悪魔のような笑顔を浮かべながら走り去った。やられた。。。仕方なく、その場にいた日本人3人でタクシーをつかまえ、北京南駅まで40元で乗せてもらった。
さて、次は僑園飯店(宿泊予定先。飯店は中国ではホテルの意味)をどう捜すかという問題である。予約をとっている訳ではないが、地球の歩き方に書いてあるホテルなので安心かと。ただ、北京南駅付近は怪しい人が多く、みんな敵に見える。呼び込みのおばさんも多く断るのが大変だ。筆談で道を聞きつつ、やっとのことで僑園飯店へ。しかし、どう見ても怪しい。あまりにもボロボロすぎる。8階建てぐらいだが、3階のみ営業しているらしい。正面玄関はカギがかかり、裏の門へ行くとガードマンがいて、白い紙を指差している。見ると英語で「This hotel has closed.please go other hotel.」と書いてある。ウソだろーと思いつつ、困り果てていると英語ペラペラの中国人おばさんが現れ、このホテルに泊まるには学生証があれば泊まれる。ニセの学生証を30元で作ってやる、と言う。それはうれしいと、3人とも作ってもらった。大野君は写真がないので、おじさんに25元払って写真まで撮ってもらった。そして、その中国人おばさん に僑園飯店の中まで連れて行ってくれと言うと、ついて来いと言うのでついて行くと、あっさり裏の門を通してくれた。ラッキーと思ってボロ階段を昇って3階まで行くと、フロントらしき所に男二人、女二人。泊めて欲しいと言うと、学生証を出せという。村上君がさっき偽造した学生証を出すと、すでにバレているようで、「いくらで作った?」などと聞いてくる。俺たちからしたら、そんなバカな・・・というような話だ。グルだったのか?村上君は、バレたからもう無理だ、帰ろうと言って出て行ってしまったが、俺はねばった。
プリーズプリーズを繰り返し、俺は騙されて可哀そうな日本人なんだ、とか言いながら30分以上フロント前でねばった。その時、フロントの一人の男が根負けして、部屋は満室で無理だがフロントの床の上なら5元で泊めてやるという。俺はOKOK!と言ったが、フロントの他の人達は嫌そうだった。フロント前であろうと、俺は安全な場所で寝られる場所が確保できただけでうれしかった。ところが、フロントのさっき30分ねばって交渉した中国人兄ちゃんが、俺にこっそり「Tonight, I will give you ドミトリーroom(複数名の相部屋) may be」と言ってきてくれた。俺はうれしかった。ねばった甲斐があった。やっぱり、中国はねばりが大切である。あまりのうれしさに、日本から持ってきた中国人プレゼント用に5つほど持ってきたソーラーパワー電卓をあげた(父が電気屋なので)。兄ちゃんはこれまた非常に喜び、早速俺を部屋に案内してくれた。
ところが、その部屋には空きがなく、既にベットは埋まっている。そのベットのうちの1つに北朝鮮人が寝ていた。フロントの兄ちゃんは、その北朝鮮人を起こし、「ここは日本人が寝るから、あっちへ行け」と言っているが、朝鮮人はなかなか動こうとしない。2人はケンカになりそうなので、俺は「OKOK!彼はそこで寝させてあげてくれ」と言うと、ホテルの兄ちゃんは、「ダメだ、ここは日本人に寝てもらうんだ」と言い張る。結局、北朝鮮人が折れ、部屋を出て行った。ハラハラドキドキだが、一度仲良くなるとトコトン優しくなる中国人の特性を垣間見たような気がした。
食事をしたあと、歯を磨き、顔だけ洗ってベットへ。でも、隣の部屋のテレビがうるさく寝られないので、日記をずっと書いている。今日は、すごく長い一日で、この日だけでも十分中国を見れたのではないかと思う。