2014.04.27

第1回 19年前の中国一人旅

今から思えば、無謀な旅でした。
海外旅行が初めての私は、大学4回生の夏休みを利用して海外保険もかけずに1人で中国へ行くことにしました。今、急激に発展している中国ですが、当時もすでに勢いはあり、大学で第2外国語として中国語を選択し、卒業論文も『もし私が中国に進出するとしたら』という題名で当時から中国には注目していました。大学生にしかできないことをやろうと、4回生の夏休みに計画したもので、以下の工程で実行しました。
旅行期間:平成7年8月17日〜9月25日
旅行行程:神戸港〜天津〜北京〜蘭州〜西寧〜ゴルムド〜ラサ(チベット)〜エベレストベースキャンプ〜ラサ〜成都〜昆明〜上海〜大阪港
旅行中、毎日日記をつけましたが、この日記に基づいて記載して行きたいと思います。
決して、皆様の為になる話とは思えませんし、日記が乱筆乱文で読みにくいですので、暇つぶし程度で読んでいただければ
と思います。
【8月17日 天気:快晴】
 今日からいよいよ中国へ出発である。朝6時に起床して準備をし、JR和邇駅(滋賀県湖西線)6:59発の電車でJR三ノ宮へ。昨夜3時頃、突然おばあちゃんが俺を起こし、目をギョロッとあけて暗闇の中、『まさる、少ないけどこれ持っていき』と言って1万円くれたのには驚きと感動があった。でも、『何もこんな時間に起こさんでも・・・』(しわだらけのおばあちゃんの顔の夜中アップは心臓に悪い)と言う気もした。その後、寝つきが悪かった。。。でも、おばあちゃんのその気持ちは非常にうれしく、絶対無事で帰ってくるぞ!という気持ちになった。
 京都駅で一旦下車し、新快速に乗り換え8:45ごろにJR三ノ宮に到着し西口へ。9:00集合が10分ほど遅れて、大石君、美春ちゃん、美穂ちゃん、きーはん(阪神大震災の時に私が単独ボランティアでお邪魔した兵庫高校で知り合った皆さん)が来た。俺を見送るのにこんなに早く集まってくれて、本当にうれしい。三ノ宮駅で、きーはんが正露丸を買ってくれた。薬を忘れてきたので、俺が中国へ持っていく薬はこの正露丸と、後で麻子さん(同じく震災のメンバー)がくれた酔い止めのみとなった。
 大石君の車で一路、神戸ポートターミナルの第4突堤へ。あっちは行き止まりだとか、こっちは一方通行だとか言いつつも何とか到着。チェックインを済ませ、出国審査さえすれば乗船という状態までしてから、みんなで写真を撮った。みんな、嫌みのない本当に良い仲間だ。ボランティアに行ったからこそできた、この神戸の友達とここまで深い付き合いになろうとは、誰が予想できただろう。阪神大震災は多くの人々を犠牲にし、苦しめたが、俺個人にとってはこれだけの友達ができるきっかけとなった天災だったわけで、改めて運命的なものを感じた。
 いよいよ出発の時間が迫ってきた。出国の手続きをして、みんなにさようならし、乗船。船に乗ると中国の女性10名ぐらいがフロントの前に並び、みな『熱烈歓迎』の赤いタスキをして立っている。それも、かなり無愛想である。フロントにチェックインすると2等和室の部屋までその10人のうちの1人が案内してくれた。『こちらでございます』とだけ言い、俺の質問には何を言っているわからない様子で、1つも答えてくれなかった。OK!OK!と言って帰ってもらった。部屋は男16人部屋。俺はその1番奥だ。普通の布団の半分ぐらいのスペースで、すぐ横に隣の人がくっついている。でも、端なので、幾分気楽だ。荷物を置き、甲板へ出ようと船内をウロウロ。その時、大野君という人物に会って道を聞いた。大野君は電話を掛けたいけど、テレホンカードが無いと困っていたので、俺の持ってるやつを1枚あげた。その後、甲板に出ると見送ってくれている神戸軍団を目にした。でも船の中と外とでは大違いだ。陸に向かって、俺は紙テープを投げた。テレビでよくあるシーンだが、本当に自分が日本を離れるという心境になると、たとえ1本でもテープが陸の人とつながっているとうれしいものである。
 出発時刻となり、陸から船が離れていく時、正直寂しい気持ちになった。どんどん離岸して、とうとう見えなくなった時、なぜか涙が出そうになった。何の涙か自分でもよくわからないが、おそらく、見送ってくれたみんなへの感謝の気持ちと、少しの寂しさからだろう。でも、そんな涙はすぐ海に流して、船室へ戻った。部屋の近所の人達と話していると、何と男性の大半は一人旅。こんなに俺と同じことを考えてる奴がいるのかと思うと、何かうれしくなった。船室の外に出て、ウロウロしていると大野君にまた会った。岡山大学のアメフト部に入っているらしいが、まだ2回生。旅行とかしたいけど、体育会なのでほとんど無理。やめようかと迷っているという。今回の一人旅も勝手に休ませてくれと言って、出てきたらしい。高校時代はラグビー部とあって、なかなか良い体をしている。今後、アメフトを続けるかどうかをこの旅行で決めたいと言っている。続けるかどうか話しているうちに、そこへ謎の日本人、Mr.キー君(井上が命名)が現れて、カバンについているカギ(番号を合わせることによって開く金色の錠)を開けてくれという。これが開かないと中の物が取れないのだが、番号が最初覚えてたやつと違うのが記憶されてしまっているらしい。3ケタの番号なので、999回まわせば最悪でも開くだろう、と言ってキー君はがんばっていたが、開かなかった。そこで、俺と大野君も手伝って、もう一度『000』からやり直し、『999』までいったが、やはり開かなかった。ペンチか何かで切ってもらえ、と言って一緒にフロントへ行っても、フロントのお姉さんはよくわからない様子。そのうち、船員たちが俺たちと同じようにカギ番号を1つずつ合わせ出したのだが、なかなか開かない。そのうち、奥からドカタの格好をしてペンキでドロドロになった身長190センチ以上あろうかという大男が汗びっしょりで登場し、カギをカチャカチャ合わせだした。プロの登場かと思って見ていたが、やはり開かない。冷房ガンガンの中のフロントで汗をしたたらせているこの中国人大男は、かなり俺には恐ろしく見えた。そして、この大男は何とキー君を連れて奥の部屋へと入って行った。俺と大野君はヒヤヒヤして待っていたが、10分、20分しても帰って来ない。風呂に入りたかったので、二人とも風呂の準備だけして、フロントの前でキー君の帰りを待ったが、出てこない。フロントの中国人のお姉さんに『カギをペンチで空けてもOKよ』と再び言うと『あー、そう』と言った感じで、引き出しからペンチを取り出し、奥の部屋へ持っていった。すると、1分も経たないうちに大男とキー君が出てきた。大男は、この強烈な冷房にも負けず大汗をかいていた。カギはペンチで切られたらしい。キー君は、恐怖とさんざん待った挙句にペンチで切られたショックで風呂へも入らず、行方がわからなくなった。。。
 その後、大野君と二人で風呂へ。シャワーは水が出てると思ったら湯になり、またすぐ水になって全然ダメだ。でも、湯船だけはちゃんと湯なので気持ちがいい。脱衣所とロッカーはカギはあっても全部壊れていたので、ゆっくり安心して風呂にも入っておれず、すぐ上がった。風呂の隣の部屋が洗濯機と乾燥機のある部屋だ。Tシャツとパンツを洗って乾燥機へ。でも3時間経ってもTシャツは湿っていた。夜、レストランみたいな所で飯を食った。家から持って行ったおにぎりがあるので、おかずだけ買った。味は思っていたよりひどくないが、メロンみたいな果物がまずかった。カスカスで何の味もない。あと、中国ビールは200円で1リットルぐらいあり、うまかった!食後、大野君としゃべっていると、再びキー君が現れ、3人でしゃべっていた。船内はジュース150円、ビール(キリンラガー350ml)も150円、ちょっと変な値段のつけ方だが、キリンラガー150円はうれしい。
 夜、家や友達に船内から電話した。しっかり、中国を見て体験して帰国したいと思った。キー君も大野君も眠り、俺は一人夜の海と山口県付近の夜景を見ていた。そのうち、だんだん眠くなってきて、AM1:00頃に部屋に戻った。布団(毛布1枚)をかぶるとすぐに眠ってしまった。
【8月18日 天気:快晴】
 今日、9:30頃に大野君がわざわざ部屋まで来て俺を起こしてくれた。『井上さん、「元」に両替しといた方がいいですよ。土日は中国の銀行が休みだからトラベラーズチェック(T/C)が両替できません』という。そのことにみんな気付いたら、船内(フロント)の元はすぐになくなってしまうと言うので、急いで元に替えてもらいに行った。1万円分T/Cを出して両替してもらったが、フロントの中国人お姉さんは手数料はいらないという。ただ、換金してもらった元が少ない気がするので、今のレートはいくらか?と聞くと、『イマ、ハヤクカワッテルカラ・・・』と、良くわからん日本語で何かごまかしている様子。出航前のレートを思い出して考えてみると、手数料を考えてもやはり少ない。さすが中国!ゴチャゴチャ言っても無駄なようなので、諦めてカップヌードルを大野君と食べた。食べながら旅の予定を考えたが、中国がウルムチの南400キロ付近で核実験を始めたらしく、当初は敦煌付近もルートとして考えていたが、電車とバスで北京〜ゴルムドまで行き、そこからチベットへ入ろうと考えた。この旅行で放射能を浴びて帰るのはゴメンだ。
 昼になり、大野君とレストラン(生協みたい)で食事を済ませて甲板に出ると、キー君が現れ俺も飯を食べる、と言って甲板にお盆を持ってきた。そして食べてるうちに、『ゲー』っと吐くような声を2回あげ、トイレに消えて行った。帰ってきて、『何か気分悪くなっちゃいました』と言っていたが、とにかく、変なやつだ。山口県出身で東京の方の大学の3回生らしいが、ただ者ではない香りを持った男だ。
 甲板で写真を撮ったり、ボーっとしていると、下の甲板にコックらしき2人が黒い大きなゴミのビニール袋を4つほど持ってきて(おそらく生ごみ)、平気で海へポイポイ捨てている。さすが中国!と2回目思った。キー君も大野君も部屋に戻り、俺は一人甲板で快晴の空の下、日記を書いた。すると眠くなってきたので、甲板で昼寝した。日本人のある人が、ツンツンと俺を起こして何やら指差している。どうも、甲板にペンキを塗っている作業服の男3人が俺の寝ているところへも来るようだ。そのうちの1人は昨日の大男だ。眠いが3階の甲板へ移動し、再び昼寝すると、今度は突然、隣で縦笛でエーデルワイスを吹かれてびっくりして目覚めた。しかし、ちゃんと2人でハモッていた。嫌みとしか思えないような攻撃だが、上手なので良しとしよう。
 夕方になって、大野君が風呂の用意をして甲板に上がってきたので、とりあえず一緒に風呂に行くことにした。風呂で旅の日本人と話をした。彼は、今日から1年半も旅に出るという。世の中には上には上がいると思った。風呂から上がり、夕食まで待てず俺はきつねどん兵衛を食べた。18時から夕食だ。今日は何とカレーライスがあった。取り敢えず飛びつき、唐揚げも頼んだ。今日の飯は当たりだった。野郎数人でウダウダ話し、バーでウイスキーの水割り(らしきもの?)を呑んで、カラオケして深夜0時頃に眠った。明日は、いよいよ中国に上陸なので楽しみだ!
と、まだ2日間しか書いていませんが、今回はここまで。
次回以降、いよいよ19年前の中国に突入します。


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