2008.10.07
ブロク開設!
みなさん、初めまして。エアーズ経営研究所の代表を務めさせていただく井上豪(まさる)と申します。おかげさまで、7月1日をもちまして、株式会社エアーズ経営研究所を開業させていただく運びとなりました。設立開業に至るまでご協力いただきました皆様方には心より厚く御礼申し上げます。
さて、今回は、初回のブログということで、皆さんにエアーズをより身近に感じていただくため、恥を承知でまず、私の自己紹介(小学校〜高校編)をざっくばらんに書かせていただきます。
名前:井上 豪(まさる)
生年月日:昭和48年6月5日(ふたご座)
血液型:A型
生まれ育ち:滋賀県大津市生まれ、志賀町育ち(現在大津市と合併)
【小学校時代】
・5年生から和邇野球スポーツ少年団に入団し、典型的な野球少年時代を過ごす。チームメンバーに恵まれ、県で優勝を経験。
・6年からショートで1番か3番。以後ポジション、打順は今に至る。ショートへコンバートしてくれた当時の監督(故小谷監督)に感謝。
・両親が自営業であったことから帰りが遅く、退屈なため夕御飯を食べ終えた友人をいかに外に連れ出して遊ぶかを毎日思案する。田舎のため、ナイターの灯りのもれている所で野球をしたり、ママさんバレーに一緒に入れてもらったりと健全な夜の遊びに励む。
【中学校時代】
・典型的な野球少年。(県大会出場も敗退)
・健全な夜の遊びは継続。
・甲子園を目指すため親を説得し、野球の伸び盛りの高校であった大津商業高校へ。
【高校時代】
・典型的な野球少年(県で準優勝を経験)だが、念願の甲子園には行けず悔しい思いをする。主将を経験。
・高校時代(下垣監督)の練習は厳しく、毎年テレビの取材が来ていた。走り込みの厳しさ等はもちろん、合宿の際に夜の体育館でろうそくを一人1本持って、夏の大会をイメージして精神統一するなど、今に残る最後の精神野球として紹介されていた。
・同志社大学の指定校推薦枠を獲得するため、条件になっている日商簿記2級を取得。これが、簿記会計との出会いとなる。
と、こういう少年時代を過ごしておりました。
はっきり言って、野球バカだったと思いますが、一つのことをやり遂げたという自信は今にもつながっていると思っています。
私の人生・考え方に影響を与えてくださった故小谷監督と下垣監督には心から感謝しております。
次回は大学、社会人編です。
井上 豪